
習志野市屋敷の天津神社(習志野市屋敷3)で9月23日、7年ぶりにみこしが出御する祭礼が行われた。
例年は3年おきに執り行われていたが、コロナ禍の影響で延期が続いていた同祭礼。久しぶりに開催され、地域住民や子どもたちを含む多くの人が参加し、屋敷地区全体がにぎわいを取り戻した。
天津神社は「厄除開運・学問の神」として知られ、天御中主大神を御祭神に祭る。起源は江戸時代とされ、当時この地に居住した渡辺甚五左衛門らが鎮守として社を建立したのが始まりと伝えられる。
今年の祭礼は9月21日に準備が始まり、22日には山車の飾り付けや境内での行事が行われた。23日の本祭では11時にみこし渡御がスタート。子どもみこしや山車も加わり、住民は声援を送り、後ろを練り歩いた。
宮本泰介習志野市長は「習志野市が今あるのは、旧幕張町であった屋敷地区と花見川地区が協力し、津田沼町から習志野市となった歴史があるため。まさにこの屋敷地区がなければ今の習志野市はなかった」と話した。屋敷地区は過去15年間で人口が大きく増え、小学校の児童数も市内16校中3番目に達していることにも触れ、「祭りの力を地域の活力につなげ、さらなる発展を願う」と述べた。
天津神社の宮司は、祭礼に向けて尽力した屋敷連合協会や各団体への感謝を表明。「コロナ禍後、初めての開催。事故には十分に注意し、参加者全員が気持ちよく終えられるよう、協力をお願いしたい」と呼びかけた。
参加者からは「地域でこうした大きな祭りはあまりなかった」「祭りを機にもっと横のつながりができれば」との声が多く聞かれ、コロナ禍を経て地域の絆を再確認する機会となった。