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タウン誌「きらこ」30年の軌跡-習志野を伝え続ける編集長・井手郁子さんに聞く

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30年近く続く「おもしろがり」の力
—— 井手郁子編集長インタビュー

習志野市タウン誌「kiraco(きらこ)」。習志野市内を中心に周辺の千葉市、船橋市、八千代市、松戸市などで配布されている。今回は「きらこ」30年の軌跡を井手郁子編集長に話を伺った。

井手郁子さん松戸生まれ。タウン誌「きらこ」 編集長。千葉や東京でタウン誌の記者、長野・会津・山形などのガイドブックライター、会社案内・カタログなどのコピーライターを務める。

 

―――創刊号が出たのが1996(平成9)年ですよね。まずは、「きらこ」を始めたきっかけを教えてください。

井手:
もともとは、習志野市の男女共同参画の場で、市民ボランティアが啓発紙『キラキラ』を出していたんです。「輝くあなた 羽ばたく私」というコピーがあって、そこから付けられた名前でした。

その活動をしているうちに、「この街にはタウン誌がないよね。じゃあ作ろうか」という話になって。『キラキラ』のメンバーのうち6~7人が集まって始めたのが「きらこ」です。名前も『キラキラ』から取って『きらこ』にしました。

私は「作るのは好きだけど、営業はできませんよ。お金かかるでしょ」と最初から言っていたんです。すると、「広告は私が取ってくるから大丈夫!」という人がいて、「それならやってみようか」とスタートしました。

でも結局、その広告担当の人が「もう無理!」って万歳してしまって(笑)。他のメンバーもパートの仕事が忙しくなったり、親の介護があったりで、気づけば誰もいなくなってしまった。たまたまその場にいなかったのですが小形涼子さんが加わって、私と2人でコトコトとやっています。
 

 

「面白いからやっているだけ」で30年

―――そこからほぼお二人で続けてこられたんですね。なぜ30年近く続けてこられたと思いますか?

井手:
いやいや、大した理由はなくて、「面白いからやっているだけ」ですよ(笑)。

この街にはタウン誌がなかったから、「じゃあ作っちゃおう!」という勢いで始めて、最初の頃は、でき上がるのも楽しいし、いろいろな人から注目もされて、とにかく面白かったですね。

今はだんだん惰性みたいなところもあって、「よく考えたらしんどいな」と思うこともあります。でも、ここまで続けてしまうと、もうやめるわけにもいかなくて。収入はほとんどないんですけど、好きだから続いているんだと思います。

 

手書き原稿とファクス。あえて(?)アナログで

―――作り方についても伺いたいです。原稿は今も手書きなんですよね?

井手:
そうなんです。原稿用紙に鉛筆で書いています。創刊以来ずっと。
スタッフとのやり取りも、基本はファクスです。パソコンは使っていません。というか、「できないし、やろうとも思わない」んです(笑)。

「生の文字をそのまま載せたい」という気持ちも少しあって、この形を続けています。活字が好きな人が読んでくれているので、この紙の形はそう簡単にはやめられません。

今は小形さんと2人でやっています。彼女がちゃんと付き合ってくれるから、私も好きなように手書きでやっていられるんですよ。

 

イベント情報は「この街に必要だ」と思ったから

―――今の「きらこ」には、昔の情報誌「ぴあ」のようなイベント情報のページもありますよね。これはいつごろ始めたんですか?

井手:
はっきりと「何号から」と覚えてはいないんですが、「この街には、近くでこんな催しがあるよって知らせるページが必要だよね」と思って、途中から入れ始めました。

イベントの情報は、スタッフがあちこちから集めてくれています。手間はかかりますけど、主催者の方にも喜んでいただけているようなので、続けていきたいですね。

 

創刊号のアンケートと、30年後の街

―――創刊号を拝見したんですが、あのアンケートが、すごく充実していて驚きました

井手:
最初の号は、知り合いにアンケート用紙を配って集めたんです。「あなたの街の色は?」「お気に入りの場所」「この街にあったらいいもの」「いらないもの」…いろいろ聞きました。

街の色は「緑」「青系」が一番多かったと思います。「いらないもの」では違法駐車や渋滞が多かったですね。当時の習志野がよく出ているアンケートでした。

―――30周年のタイミングで、同じアンケートをもう一度やるのも面白そうですね。

井手:
そうですね。同じ質問を、今度は市長さんや市議さん、いろいろな立場の方にも答えてもらって、30年前との違いを比べてみたら面白いかもしれませんね。

今ちょうど「30年前の私をお寄せください」という企画も進めていて、集まったものを今度の号で特集にしようと考えています。30年って、やっぱり長いですからね。

 

表紙と名前に込めた思い
花の実園の皆さんと一緒に

―――表紙も『きらこ』の大きな特徴ですよね。

井手:
表紙にはこだわっています。今は、就労継続支援B型の施設「花の実園」の皆さんが作るちぎり絵の作品を使わせてもらっています。とても優しくて力強い作品で、ページを開く前から季節や空気感が伝わってくるんです。

毎号「表紙のことば」という欄で、その作品についての説明を書いています。もう10年以上、このスタイルが続いていると思います。

就労継続支援B型の施設「花の実園」

 

温かみのある表紙を彩る「花の実園」のちぎり絵

「きらこ」の表紙を飾るのは、秋津にある社会福祉法人習愛会「花の実園」によるちぎり絵作品。同施設では、職員2人が毎月担当し、利用者5~10人と共に1カ月かけて丁寧に作品を制作している。完成した作品は社会福祉センターなどにも展示され、毎月交換しながら地域の人々の目を楽しませている。「色紙をちぎって貼り重ねていく共同作業は、時間も手間もかかりますが、その分、一枚ごとに『その月の空気』がギュッと詰まった作品になります」と、当施設の内田さんは話す。

「きらこ」の表紙に採用される作品は、その年に制作されたものの中から選ばれ、データで井手編集長に預けられる。利用者の家族や福祉センターの職員からも好評だというこのちぎり絵は、10年以上にわたって「きらこ」の顔として、温かみのある誌面づくりに貢献してきた。手作りのぬくもりが伝わる表紙は、手書き原稿にこだわる「きらこ」の姿勢とも重なり、読者に親しまれている。
 

自分の作品がタウン誌の表紙になっていることを、利用者本人が詳しくは知らない場合も少なくない。むしろ、日頃から制作に寄り添う職員や、家族が「きらこに載った作品」を見て喜んでくださっているとのこと。福祉施設で生まれた一枚の絵が、街のタウン誌の表紙として刷られ、読者の本棚や図書館のアーカイブに残っていく――。そんな静かな連なりも、「きらこ」の30年を支えてきた大事な要素となっている。

社会福祉法人習愛会「花の実園」によるちぎり絵作品

 

価格は創刊からずっと360円

―――創刊号の価格を見ると「360円」。そして今も同じなんですよね。

井手:
そうなんです。紙代も印刷代も当時とは比べ物にならないくらい値上がっているんですけど、値段は変えていません。

値上げしたら、『もういりません』って言われる気がすると思っていて(笑)、ずっと360円のままです。そのせいもあって、正直なところ、収益はほとんど出ていません。

1号当たり2000~2300部くらい刷って、2カ月に1回出しています。個人で買ってくださる方、市役所、それからいくつかの店舗に置いてもらっているくらいですね。書店にも置こうと考えたことはあるんですが、手続きが非常に面倒で、結局やめてしまいました。

創刊号などのバックナンバーは、中央図書館にもアーカイブとして置いてもらっています。花の実園の表紙作品もまた、その一部として静かに積み重なっています。

 

これから先、『きらこ』をどう続けていくか

―――これから40周年、50周年に向けて、どんなふうに続けていきたいですか?

井手:
本音を言うと「どこまで続くかなぁ」という感じですね。後継者がいてくれたらもちろんうれしいですけど、「後継者を見つけて続けてくださいね」と言われても、そんなに簡単には見つからない。

一番の問題はやっぱり「お金」です。印刷代と紙代。収入がたくさんあるわけじゃないので、そこがネックになります。

インターネットの時代に、ファクスと手書きで紙のタウン誌なんて、きっと古臭いんだと思います。それでも、活字が好きな人がいて、読んでくれる人がいる限りは、できるところまで続けたいですね。


そして今、井手さんは、自分一人で抱え続けるのではなく、いずれは事業譲渡という形で、誰かにこの仕事そのものを手渡すことも視野に入れています。
習志野のタウン誌の火を消さず、次の世代へとつないでいこうとしてくれる人――そんな思いに共感し、『きらこ』という場と仕事を引き継いでくれる志のある方が現れてくれることを、静かに願っています。

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