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昭和20年前後の習志野・大久保の様子を子ども目線で 展示企画始まる

「あなたの知らないぼくちゃんの世界」会場入り口

「あなたの知らないぼくちゃんの世界」会場入り口

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 展示企画「あなたの知らないぼくちゃんの世界」が5月1日、市民プラザ大久保(習志野市大久保4)で始まった。

昭和20年前後の習志野・大久保の様子を子ども目線で 展示企画始まる

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 大久保商店街協同組合の「習志野の歴史を語る会」が中心となって当時の大久保商店街の地図を作り、昭和20年代を知る16人に話を聞き、該当場所にエピソードを貼りつけて作成した。併せて、当時の生活用品やおもちゃや1945(昭和20)年、1958(昭和33)年、1980(昭和55)年の大久保商店街の地図も展示し、比較して変化を楽しむこともできるようにした。

 同会は80代以上のメンバーが多く、「毎週集まった時は必ず子どもの頃の話になる。面白い話がたくさん出てきたので、これは記録に残しておいた方が良い」ということから、2年前からノートにまとめた記録を子どもたちの目線で展示企画に仕立てた。

 会場には、戦争中、日立製作所のサイレンが鳴ると近くのドブに隠れたこと、戦後陸軍連隊があった場所は空き家で日大や東邦大が入るまで野球をして遊んでいたこと、現在では禁止されているかすみ網を使いスズメを捕って炙(あぶ)って食べたこと、大正時代は軍隊の残飯を豚に食べさせ大きく育ったら一頭いくらで軍に販売し、昭和になると食堂を始めた「三橋残飯店」という現在では見かけない名前の店があったこと、当時高級品だったテレビは石川食堂と池田食堂にはあったので、一杯30円のラーメンを食べながら1954(昭和29)年2月19日の「力道山・木村政彦対シャープ兄弟」のプロレスを見たことなどのエピソードを展示する。

 同会スタッフのひぐち誠さんは「当時の方の話を聞くと、戦時中の大人の体験談は出版されているが、子どもたち目線の体験談は残されておらず、知らないことがたくさんあった。空襲警報後の防空壕(ごう)の怖さや、機銃掃射に撃たれるのではないかという恐怖など、大久保でも戦争の恐怖があったことを思い知った。語られていない話がたくさんあるので、後世に残さなくてはいけないと思った」と話す。「当時を思い出し懐かしく思う方も戦争を知らない世代も、大変な生活を送る中でもたくましく生きている子どもたちの姿が楽しく見てもらえる。展示会終了までには地図いっぱいに埋め尽くしたいので、当時のことを知る方、話を聞いたことがある方には協力してほしい」と情報提供を呼びかける。

 開館時間は9時~21時。第2・第4火曜休館。入館無料。7月31日まで。

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